須和田公園
江戸川、市川市街地が一望できます。
「市川の歴史」(中津攸子氏)によると「須和田の「スワ」とは湿地帯の古語らしく、須和田というのは古い稲作りが生んだ地名だと思われます」ということでこの辺一体は昔田んぼだったようです。
公園の中心部には須和田遺跡の一部が保存されていますが、発掘調査でおびただしい数の住居跡が見つかりました。
また、ここから発見された土器は関東で一番古い弥生式時とされており、「須和田式土器」と呼ばれています。
紀元一世紀頃のものといわれています。
一般に西日本で発見される弥生式土器は縄文式土器に比べて薄手で固く、ろくろも使って形が整い、縄の目を模様にした縄文式土器の面影が残っていません。
しかし、須和田式土器は縄の目の模様をしっかりと残しています。
このことから、「西日本では弥生式文化を持った人々が、今まで縄文文化を形作っていた人々を征服したのですが、市川や関東では縄文文化をになった人々が弥生式土器の作り方や稲作作りを取り入れたことがわかります(前著、中津氏)」
この辺りを支配していた豪族の力は強く、次々と各地の勢力を屈服させていった日本武尊も、まずは富津から船橋と攻め、市川に入ったものの須和田などの豪族に対抗するためしばらく若宮にとどまっていたと言われています。
高台から市川市街、江戸川を見下ろしながら、弥生時代に生活した人々の思いを想像してみるのも楽しいですね。
須和田公園
市川市須和田2-34
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